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幼少期から薄毛を気にしてきた女の人生

こんにちは!ホッピ~です。

今回は、これまでの自分の薄毛の歴史…というか、自分語りです。

だい~ぶ根暗ストーリーなので、苦手な方は見ないでいただければと思います。

不快な思いをさせてしまったらすみません…!

目次

子供のころから髪にコンプレックスがあった

私は幼少期のころからすでに、髪の量が少なくて猫っ毛でした。

親戚には「あんた将来ぜったいハゲるよ」なんて笑われて、子供心に傷ついたものです。

幼稚園児の頃は、母の趣味できつ~いパーマ(ソバージュってやつです)をかけていた時期もあります。

今考えると、これも自分の髪や頭皮を傷める原因だったのかもなぁ…なんて……。

それでも、今になって幼少期の頃の写真を見ると、量は少ないですが、今みたいに地肌が透けているようなことは全くなくて、過去の自分がうらやましいです。(笑)

せめてこの量を維持したい人生だった…!

とにかく辛かった思春期

小学校5年生くらいから、顔の皮脂量がすごく増えだして、いつも顔がテカテカと脂ぎっていました。

当時はわからなかったけど、もしかしたら脂漏性皮膚炎だったのかな…?

ニキビもすごくて、いつも顔中ニキビだらけでした。

クラス…いや、学校で1番、肌が汚かったのではないかと思います…。

髪も夕方頃になるとべたべたで、思春期時代はとにかく自分が醜くて大嫌いで恥ずかしい生き物だと思っていました。

それから、この時期、どうしようもない理由で洗髪や洗顔が手抜きの状態になってしまっていたんです。

それは……一人でお風呂に入るのが怖かったから…!!!

たぶん小学5年生くらいから、親とは別でお風呂に入るようになったんですが、1人だと背後が気になる気になる…!(笑)

当時住んでいた家は、お風呂が2階にあって、お風呂に入っている間は、2階に一人ぼっちの状態なんですよね…。

情けないけど、これがとにかく怖かった…!( ;∀;)

とにかくビビり・チキンな私は、霊的なものが出てくるんじゃないかと怖くて怖くて、落ち着いてお風呂に入ることができず……しっかりやるべきだった洗髪や洗顔が、いつもスピード処理でした。

ビビりも行き過ぎるとほんと人生損をしますね…

それで、頭皮も真っ赤でよく荒れていました。

クラスメートにコソコソとバカにされることもあって、どんどん引っ込み思案・根暗に磨きがかかりましたね…。

恥ずかしくて誰にも相談できなくて、何度も死にたいと思いました。(チキンなので自殺する度胸なんてないんですけどね…)

プールの授業もさぼれる限りはサボっていて、スキーなどの帽子をかぶる授業も大嫌いでした。(とった時ペッタンコで恥ずかしかったから)

高校生の頃、つらくて学校のトイレで泣いていたら、友達が心配してくれて親身になって話を聞こうとしてくれたけど、最後まで理由は話せませんでした。

プライドが高いせいなのか、ただの臆病なのか、薄毛と認めたくないからなのか、自分でもよくわかりませんが、自己開示がとにかく苦手なんです。(今もです)

今でも誰かと薄毛の話をすることができません。

家族ともしないです。

美容院で「何か悩みはありますか?」と美容師さんからふっかけてくれても、絶対に言えないんです。

他人からどう思われているのかいつもびくびく怯えていて、毎日が怖くて辛くて仕方なかったです。

家族の話

ちょっと家族の話をします。

私にはがいますが、姉はめちゃくちゃ頑丈な髪をしていて、今もフッサフサです。

顔も、身内というひいき目を抜きにしてもかわいいと思います。

姉は私と違って、好きな髪型になんでもできるので、それがとにかく羨ましくて、いつも劣等感を抱いていました。

姉の真似をしても、全然同じように決まらなくて、何度もこっそり合わせ鏡で自分の頭頂部をチェックしては泣いていました。

…とここまで言うと、なんだか自分ばっかり苦労しているかのようですが、姉は姉で、かわいくなるためにダイエットやお化粧を頑張ったり、たくさん努力をしていました。

姉は結婚して、子供を産みました。

産後の脱毛もすこしあったみたいですが、特に心配することもなく…今も健康的な髪をしています。

両親は現在60代後半で、どちらも薄毛です。

父親は年相応な感じですが、母親は更年期あたりからびまん性の脱毛がだいぶ進行しています。

父はよく笑って自分の髪が薄くなったことを嘆いていますが、母親は自分から髪の話はほぼしません。

私と同じで、自己開示が苦手なのでしょう。

きっと、母もとても悩んでいるんじゃないかな…。何かいい育毛法を見つけて、力になってあげたいです。

大学生時代

大学生時代くらいから、皮脂の量は少し落ち着きました。

ひどい炎症ニキビも、少しずつ収まってきました。

大学の講義室は階段状になっていて、後ろの席に行けば行くほど席が高くなっていくので、頭頂部が見られているんじゃないかといつも不安でした。

初めてのバイトも大変で、人間不信でいつもストレスを感じていました。

社会人になって、リーブ21に通う

大学を卒業後は、初めて親元を離れて他県で販売員の職に就きました。

これがまたものすごくハードな現場で(笑)、朝から晩まで通し番の毎日、深夜残業も当たり前でした。

残業については、私の仕事の仕方がへたくそだったのが原因なので、私が悪いんですけどね…。

この頃はとにかく、睡眠時間も少なかったし、栄養も偏っていたので、抜け毛も多かったです。

そして一番記憶にあるのが、化粧ノリがものすっっっごく悪かったこと。

塗れば塗るほど汚くなるし、どんな化粧品を使っても全然だめでした。

ハードワークではあったけど、お金はそこそこ貯まっていったので、ここで思い切って、リーブ21に通うことにしました。

最初はすごく怖かったけど、スタッフの方がとても優しくて、施術も気持ちがよかったので、毎回通うのが癒しになっていきました。

とはいえ、自分の家からはアクセスがちょっと不便な場所だったので、ハードワークの合間を縫って通うのはまあまあ大変でした…。

そして残念ながら…肝心の発毛効果は……ちょっと…よくわからなかったです……(汗)

記憶が曖昧ですが、たぶん2年~3年くらい通ったのかな…?

でもおそらく、通っていた当時のあの不健康な生活の中、髪が増えることはなかったものの大量に減らなかったのは、きっとサロンのおかげだったと思っています。

なにより、これまで髪のことは恥ずかしくて誰にも相談できずにきたので、堂々と話せる、話を聞いてもらえるというのが、とても救いになりました。

お金はたぶん100万円以上使ったと思いますが、後悔はしていないし、当時の自分の心の支えになってくれたので感謝もしています。

通っていた時の詳しい内容については、またいずれ記事にする予定です。

地元に帰ってきてから

初めての就職からだいたい4年後、いろいろあって地元に帰ってきて、いろんな職を経験しつつ、一人暮らしもしました。

このころは、湯シャンや塩浴や肌断食などの、脱シャンプー系の技法も色々試しましたが、私には効果がほぼありませんでした。

むしろたぶん抜け毛は多かった気がする

たぶん皮脂量が多いので、向いていなかったんだと思います。

塩浴は、当時賃貸アパートに住んでいて、お風呂に塩を流すことに抵抗があって、うまくいきませんでした。

一人暮らしの最中に、会社員を辞め、フリーランスに転身しました。

理由は、もともと対人関係を上手に築くのが苦手で嫌になってしまったこと、サラリーマンという働き方に疑問を持ってしまったこと…そして…薄毛の自分が恥ずかしかったから。

…でもなかなかお仕事が軌道に乗らず、貯金は減る一方……。

独立はまだちょっと早かった…

最低限の食事、可能な限りお風呂も暖房も我慢しました。

栄養バランスもどん底だったと思いますし、精神衛生的にもかなり悪かったかと思います…。

薄毛の自分が恥ずかしくてやめたのに、さらに進行させてしまった気がします……。

33歳ころには前頭部がスッカスカで、34歳くらいからは白髪も目立ち始めました。

そして、実家に戻ってきて、今に至ります。

どうしようもない人生送ってるなぁ……ほんと…

髪が生えたら、したいこと

…と、こんな感じの人生を送ってきました。

全部が全部髪のせいじゃないけれど、髪の悩みがなかったら、間違いなくもう少し楽しい気持ちで人生を送ってこれたと思います。

お金を使っても効果がなかった、どう頑張っていいかもわからない、絶望の未来しか待っていなくて、毎日が怖いです。

とりあえず、今やろうと思っている育毛法を信じて、前に進むだけです。

これが最後のチャンス…というくらいの気持ちで、これから育毛を頑張っていきたいと思います。

もしも薄毛が解消できたら、「今までよく頑張ったね、辛かったね」と自分を慰めてあげたいです。

そして、同じように悩んできた人の力になれたら…と思っています。

あと、明るい日光の下を、笑顔で堂々と歩きたいです。

そう…とにかく、自分に自信を持てるように、頑張ります。

鬱々と長~い自分語り、すみません!( ;∀;)

思い出して辛かった半面、吐きだせてちょっとすっきりしました…。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。(^^)

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